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つめかえしはお米屋さんの知恵ですが、幕府は「売っても必ず買い戻し、買っても必ず転売する」のは空売買だ、諸悪の根源だと思ったのです。万治3年(1660)に米手形を禁止します。しかたなく「米切手」だけを保険の対象にしましたが、保険のコストが手付金だけの米手形と比べて三倍も高くなったのです。だが泣き寝入りするお米屋さんたちではありません。知恵と才覚をはたらかせました。
米市場には米切手が必要でもないのに保険のために買う者と、保険のため、後で買い戻すのは分かっていながら売る者がいますが、差額の授受だけが目的の者同士なら米切手を介在させなくても、取引が成立することに気がついたのです。
まず取引の基準にする米の銘柄を建物(基準)米として定めました。値下がりが心配な人は建前にすぎない架空の米切手を売った事にします。反対に値上がりが不安なら帳面上で架空の米切手を買ったことにするのです。その後、買った人は転売して差金を精算し、売った者は買い戻して、実際の値動きの差額を精算すれば「つめかえし」と同じ保険の効果があると気づいたのですから、なんとも賢い。
さらに、米手形よりも証拠金(敷銀)を安くすると保険コストがそれだけ少なくむと考えたのです。
このように帳面上だけで売買したことにすることから、この取引きは「帳合米取引」と呼ばれ、これが現代の先物取引の原型になったのです。

帳合米(先物)取引は知恵の産物でしたが問題がありました。お米屋さんだけの売買ですと抱えているリスクがかたよってしまい、買い手ばかりとか、売りが集中したりなど売買が成立しにくいのです。
そこで危険を引き受けてくれる投資家に参入してもらい、流動性(リクイディティー)を高めることにしました。おコメの生産者(各藩)や流通業者は、自分たちの儲かるチャンスを市場に提供し、リスクをとってもらうことにしたのです。
投資としての商品先物取引は、今も昔も身の回りの品物の値動きを予測するのですから、みたこともない工場や経営力を対象にした株式売買よりも、身近な投資といっていいでしょう。当時から、米切手(現物)の受渡しをしないでも、値動きした差金だけ決済する投機として人気をあつめていったのです。
たくさんの売買で流動性が高まった結果、期間の到来前に転売や買い戻しも自由になって、江戸のお米屋さんは必要な期間だけの保険設計ができるのですから便利がいい。急激な高騰や暴落をなだらかにする平準化作用もありますし、投資家という名の消費者までも加わって成立した米価ですから、公正な価格とみなされて日本の基準価格となり、全国津々浦々に伝わっていったのです。
淀屋米市や堂島米会所の帳合米取引の単位は100石(15トン)で呼び値の単位は一石。敷銀(取引証拠金)はレバレッジでいうと130~200倍にあたりました。
現代よりも高いと感じるでしょうが、それには理由がありました。では、米市はどんなようすだったのか、次の幕はそこからはじまります。
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