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大坂が先物取引発祥の地ですが、まずはそのヒミツから幕をあけましょう。
江戸時代は「米本位制の経済」で、生産量は2700万石で人口は約3100万人。大名の収入も武士の俸祿(給与)もおコメで、年貢として召しあげた領主米のうち3割は人件費として消え、残りを売って藩の収入としました。はじめは城下の市でしたが、大量一括売却ができる大市場への廻米がはじまり、江戸に100万石、200万石近くがナニワに流入するようになります。
大坂が多かったのは、昔から手工業と商売の町で稲作農業とは分業体制だったこと。当時の主産地だった四国・九州との瀬戸内航路が発達していたこと。寛文12年(1672)に河村瑞賢さんが西廻り航路を整備したからです。
大坂に到着したコメは各藩の蔵屋敷に運び込まれ、売り捌きは米商人を町人蔵元に任命し、代金の収納と送金は両替商を掛屋として委託します。蔵屋敷のコメは指名入札制で、落札すると3分の1の手付け金を掛屋に支払い、米手形(銀切手)を受け取り、残金をそえて町人蔵元に届けると「米切手」、現代の倉荷証券に換えてくれて、蔵屋敷に持参するといつでも現物が受け取れる仕組みでした。
おコメの取引は、実物だと米俵が重く壊れやすく嵩張るため米切手のままで取引するほうが便利なことに気がつきます。米切手だけでなく、3分の1の手付け金だけでコメの権利が買える米手形も取引の対象となっていきました。その米市が淀屋岡本常安(じょうあん)、个庵(こあん)の親子がつくった「淀屋米市(よどやのこめいち)」だったのです。

お米屋さんたちの悩みは米価の変動でした。仕入れをする前に値が高くなると損、安く仕入れたと思っていても値段が下がると在庫の損が増えてしまう。
そのリスクを米市を利用して解消する方法を考えだしました。それが「つめかえし」と呼ばれたアイデアです。
例えば、倉庫におコメが山積みのところへ、大豊作だという裏情報が飛び込んでできました。このままだと大きな損がでます。そこで、両替商から米切手を借りて、その米切手を米市で、まだ下がっていない価格で売っておくのです。
心配が的中。暴落して米価は半額に下りました。当然、倉庫にあるコメは大損害です。一方、両替商で借りて売っていた米切手は、値下がりしている米市で半額で買いもどして両替商に返します。この高く売って安く買い戻した利益で、倉庫の現物米の値下がり損をカバーするのです。
もしも反対に高くなると、米切手は高く買い戻すことになって損ですが、その分、倉庫のおコメが高く売れますから、値上り、値下りのどちらになっても理論上はリスクの発生はありません。このように将来は買い戻すのに保険のために売るのを「売りつなぎ」。将来、価格高騰による損失発生を防ぐため、保険をかけるためにあらかじめ米市で米切手を買うのを「買いつなぎ」と呼んでいました。
ただ、この保険には、米切手を借りて売るにしろ買うにしろ丸代金が必要です。そのコストを避けるため、米切手よりも手付金だけでよい米手形のままで保険つなぎ(ヘッジ)に使ったら、保険コストが3分の1に削減できたのです。
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