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淀屋初代当主の常安(じょうあん)さんは大阪の陣の功績で、徳川家康から「米価の標準」をたてる米市の許可をもらっていました。
それが淀屋米市ですが、帳合米(先物)取引は幕府の意向とは違うために禁止されていて、残念ながら取引記録はないものの、承応(1652)、万治(1658)年間ころに何度か禁止令がでていますから、お米屋さんたちは止めようとはせず、こっそり取引をつづけていたのでしょうね。
それどころか益々賑わっていき、淀屋米市の前は通行もままならなくなったため(理由は他にもありますが)、元禄10年(1697)暮れ、堂島に米市を移転します。そして八代将軍吉宗の時代の享保15年(1730)8月13日、南町奉行大岡越前守忠相の名前で「堂島米会所」として先物取引を正式に公認するのです。米価を自由に任せること(先物取引)に需給調整機能があると気づいたからでしょう。
世界一の穀物取引所、シカゴ・ボート・オブ・トレードは欧米でもっとも歴史の古い近代的取引所ですが、堂島米会所よりも120年も後のことで、しかも堂島と瓜二つの仕組みだったのですから、驚くべきはお米屋さんたちの知恵です。
場所は堂島浜通りの大江橋(御堂筋)と西の渡辺橋(四つ橋筋)とのあいだの道路を、公儀から借りて寄り場(立会い場)としてつかいました。明治以降も同じ場所に建物を造って取引はつづけられたのです。
淀屋米市は井原西鶴さんにおまかせするとして、次回は堂島米会所から作家・島実蔵が実況放送にチャレンジしてみましょう。
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