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米市には、保険つなぎや投機家の資産運用の注文が殺到するようになりました。なにしろ幕府は「先物取引はカラ売買」という理由で許さないので、すべて現物か米切手の取引に見せかけていましたから、残念ながら取引記録は残っていません。
ところが、その立会い風景を面白く描いた人物がいました。『好色一代男』で有名な井原西鶴さんです。貞享5年(1688)、堂島米会所が幕府から公許されるより42年も前の淀屋米市のことを「日本永代蔵・卷一」のなかに書いています。
[怱(そう)じて北濱の米市は、日本第一の津(つ)なればこそ、一刻の間に、五万貫目のたてり商(あきない)もあることなり]
――北濱の淀屋米市は日本第一の津(港町)のマーケットだったから、一刻、2時間ほどの間に5万貫目もの「たてり商」(セリによる競売買)もあることなり。
銀5万貫目は当時の相場で約120万石のおコメです。大坂に入ってくるコメは年間で200万石しかありませんから、たったの一刻(2時間)の間に、120万石もの売買だなんて眉唾ものと思われますが、デリバティブ取引だとすると体感できない出来高ではないのです。
当時の市場はザラバ取引で、取引数量の多くはデイ・トレード(日計り)だったせいもあります。現代でもWTI原油は日量二百万バレルの生産量に対して、ニューヨーク商品取引所では日量二億五千万バレルという膨大な出来高に達していて、投機家の皆さんのおかげで流動性が確保され、はじめて公正透明な価格が成立しているのです。

井原(いはら)西鶴(さいかく)さんは「日本永代蔵・卷一」で、淀屋米市ではデイ・トレードが盛んだったと描いていますが、カラ売買はけしからぬと言っていた幕府も、承応年間の記録に「順々に手形(米切手)を売渡、約束の日限を延ばし候にて、一枚の手形が一日の内に十人の手に渡り、米は高値になると申し候」と書き残していますから、西鶴さんは単なるホラ吹きのオジサンではないのです。
1枚の米切手を1日のうちに10回も現金で売買するなんて考えられません。札束が飛び交ったのではなく、帳面に取引経過を記録しておき、あとで売り買いの差金だけを決済する先物取引をしていたということです。
「その米は蔵々にやまをかさね、夕の嵐、朝(あした)の雨、日和(ひより)を見合、雲の立所をかんがえ、夜のうちの思いいれにて、売る人あり買う人あり、一分二分をあらそいて人の山をなし」
――投機家は天候をみておコメの豊凶を考え、前日に充分に相場の予想をたてておいて、1分、2分の値動きを競いながら取引を楽しんでいる。
其日切(そのひぎり)損徳(そんとく)をかまわず売買せしは、扶桑(ふそう)第一の大商。人の心も大腹中(だいふくちゅう)にして、それ程の世をわたるなる。」
――先物取引のリスクなど覚悟のうえで相場を楽しむなんて、さすが扶桑(日本国)第一の大商人、大腹中(太っ腹)なことだなぁと、商品先物取引を紳士のビジネスだと褒めたたえています。
これこそ作家の感性、西鶴さんは物事の本質をよく掴んでいらっしゃる。
商品先物取引業者、金融商品取引業者[関東財務局長(金商)第287号]、金融商品仲介業者[関東財務局長(金仲)第548号]
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