商品先物取引、金地金取引のことなら「日本ユニコム」

日本ユニコム

島実蔵の商品先物十八番勝負

第三章 こちら堂島米会所からの実況中継です

其の八 正米、帳合米、石建米取引の総合取引所でした

ここは堂島です。堂島川としじみ川(曽根崎川)に囲まれた、元禄元年(1688)に開拓された新地で、川沿いの堂島浜通りが米会所の寄り場(立会い)です。水をまいているのは会所の水役人で、島実蔵を追い払うのではなく、市場の熱気を冷まし、終了を知らせているのです。

東から実物取引を行う正米、先物取引の帳合米、それに石建米というミニ売買(帳合米の5分の1)の3市場で構成された総合取引所でした。正米市場は相対取引で、どこの産地のコメでもOK。米切手は質入れや融資の担保になり、目減りや傷みも蔵側が負担し不渡りはない。万一財産没収処分になっても米切手は没収の対象外でしたから、富豪層は財産として買持ちし、この保有資産の下落リスクの保険としても帳合米(先物)市場が利用されているのです。

堂島の帳合米(先物)取引は、あらかじめ建物米(標準品)を定めておき、その米を対象に売買します。どこのコメでもいいわけではなく、四蔵米と呼ばれた広島米、中国(周防、長門)米、筑前米、肥後米のほか、取引数量が多く品質の高いものを対象に米仲買たちが投票で決めます。つまり人気投票でした。

取引期間は現代の複数限月ではなく、1年を春(1月8日~4月27日)、夏(5月7日~10月8日)、冬(10月17日~12月23日)の3期に分けています。各期の最終日を「限市」(きりいち=納会日)と言って、この日までに買っているものは売埋め(転売)し、売ったものは買埋め(買い戻し)をして差金を清算します。クリアリング(清算)は許可された50軒の米方両替の担当でした。

堂島米会所(摂津名所図會)

其の九 ちょんまげ相場師、堂島米会所で投機ざんまい

取引は正月4日と5日は初市として淀屋の屋敷跡で祝儀商いをおこない、8日から堂島浜で帳合米第一期春物がはじまります。

江戸時代の投機家は小舟にのって堂島の米会所を訪れました。現代のタクシーのようなもので、市場の見える仲買店(約500軒)のノレンをくぐり、一日中相場を楽しんでいました。店によっては酒をふるまい食事をだすところもあります。

屋形船に芸者を乗せて、川岸に係留して投機と舟遊びを兼ねるつわ者もいて、売買の注文は仲買人の丁稚が川岸までやってききます(写真左端)。うなぎや魚を売る煮売舟や日用品を満載した舟も寄ってきますから不自由はありません。

毎朝5つ時(午前8時)に会所の「水役人」が拍子木を打ち、前日最終値段を大声で呼びあげて帳合米取引がスタート。値段と数量を手で示して各々相手を求めながら成立させるザラバで、値段の流れが変わると係員が立会場に知らせます。

朝4つ時(午前10時)になりました。この時刻から帳合米の値段を参考にした開始値段(言い合せ値)をもとに正米取引のセリがはじまります。米価は先に開かれている帳合米がリードすることになり、現物と先物の乖離をふせぎ、多数の取引と大勢の予測が集中して公正な価格をうみだしていくのです。

当時の投機は日仕舞い(ディトレード)が主流で、 9つ時(正午)に一旦終了し、正米取引はこの2時間で終了。帳合米は昼休み後の8つ時(午後2時)から後場をはじめます。後場は1寸余りの火縄に点火し、この火が燃えつきたときが取引終了です。

そのときの値が「火縄値段」、大引け価格として奉行所に届けられました。

堂島米市のジオラマ
はじめに
ページ上部に戻る